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弓道における射法訓
全文を探しています

 現在、全日本弓道連盟は、射技・射法の基本的文献として「礼記射義」とともに、次の「射法訓」を掲げています。

 礼記射義がそうであるように、この射法訓も全体からの抜粋であろうと推察しています。礼記は、図書館にも全文が書籍として出版されたものが所蔵されていますが、射法訓はどうしても全文を見る機会に恵まれません。
 射法訓の全文について、その所在、出典などの情報をお持ちの方は、ぜひ、ご一報下さい。よろしくお願いいたします。

 現在、全日本弓道連盟が掲げている射法訓は、次の通りです。

 吉見順正 射法訓

「射法は、弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり。心を総体の中央に置き、而して弓手三分の二弦を推し、妻手三分の一弓を引き、而して心を納む是れ和合なり。然る後胸の中筋に従い、宜しく左右に分るる如くこれを離つべし。書に曰く鉄石相克して火の出ずる事急なり。即ち金体白色、西半月の位なり。」


追記1. 1997年2月1日、大牟田市大字三池324の2 齋田徳明範士より、小生の射法訓全文の問い合わせに対して、次の一文が送られてきました。貴重な文面ですので、みなさんにご紹介いたします。

 『抑々弓道の修練は、動揺常なき心身を以て押引自在の活力を有する弓箭を使用し、静止不動の的を射貫くにありて、その行事たるや、外頗る簡易なるが如きも其の包蔵する処、心行想の三界に亘り相関連して機微の間に千種万態の変化を生じ、容易に正鵠を捕捉するを得ず、朝に獲て夕に失い、之を的に求むれば的は不動にして不惑、之を弓箭に求むれば弓箭は無心にして無邪なり、唯々之を己に省み、心を正し身を正しうして一念正気を養い、正技を錬り、至誠を竭して修業に邁進するの一途あるのみ、正技とは弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり 心を総体の中央に置き 而して弓手三分の二弦を推し 妻手三分の一弓を引き 而して心を納む是和合なり 然る後胸の中筋に従い宜しく左右に分かるる如くこれを離つべし
 書に曰く鉄石相剋して火の出ずる事急なり、即ち金体白色 西半月の位なり』(中略)
 『礼節信義質実剛健忍耐克己深思果断謙譲大和等人生行路に必要なる凡百の教訓と共に、一箭献身の気魄と一発必貫の信念とを体得せしめ、心身の修養 人生の陶冶に裨益する処甚大なるものあるに止まらず』(後略)
 『などの大文字は今日にいたるも炳として輝き以て吾々の向う処を指しているものでありましょう。』

 

なお、前文で「現在のところ、この位しか解りません。何れ勉強の中で出て来ましたら、又コピーして送ります」とお書き添えいただきました。齋田先生には、大変不躾なお願いにもかかわらず、このようなご丁寧なお便りをお寄せいただいたことに、この場をお借りして心からお礼申し上げます。これからも、ご指導ご教示のほどよろしくお願いいたします。 


追記2.1997年9月15日、魚住一郎範士の昇格祝射会が開催された折に、松井巌教士とお話しする機会があり、上記の射法訓全文についておたずねいたしましたところ、「そのような射法訓全文というものはないと思う。なぜなら、射法訓というのは、尾州竹林流伝書『四巻之書』からの抜粋であり、習熟の程度に応じて随所に記述があって、そのどこからということが言えないからだ。」という趣旨のご説明がありました。
 それにしても、「吉見順正 射法訓」とあるので、何かまとまったものがあるように思えてなりませんので、上記の問いかけはこのままにしておきたいと思います。
 情報をお持ちの方、あるいは射法訓そのものについてのご見解をお持ちの方は、ぜひ、お寄せ下さい。
梶田先生へ

<梶田註>
 上記の松井先生のご意見について、さる5月28日(2000年)、松井先生からmailをいただきました。私の理解不足が原因で表現が不正確となったようで、松井先生にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。松井先生からのmailはつぎの通りです。松井先生には、お詫びかたがた改めて心からお礼申し上げます。
 「友人に言われて先生のHPを拝見しました。ご活躍期待しています。斎田先生は私も親しくさせて戴いています。京都でもお逢いしました。
先生のHPの中での私とのやり取りの記事で、少し気になる所がありますので訂正させて戴きたいと思います。説明の仕方が拙かったのであろうと思いますので・・
「1997年9月15日、魚住一郎範士の昇格祝射会が開催された折に、松井巌教士とお話しする機会があり、上記の射法訓全文についておたずねいたしましたところ、「そのような射法訓全文というものはないと思う。なぜなら、射法訓というのは、尾州竹林流伝書『四巻之書』からの抜粋であり、習熟の程度に応じて随所に記述があって、そのどこからということが言えないからだ。」という趣旨のご説明がありました。」
 全文が今は消失して分らないと言う事は、和歌山の紀州竹林をやってみえる先生から伺った事があります。戦前は和歌山の田辺に和佐大八郎の家系の方が住んでみえたとのことですが、戦後兵庫の方に移られて、その後は分らないとの事でした。吉見順正先生は、ご存知の通り紀州竹林の方で、そのお弟子さんに和佐大八郎が居る訳です。吉見先生が「射法訓」をお書きになったのですが、その全文の所在は分りません。
 ただ、内容的には尾州竹林の伝書の中でも説明されている部分がありますから、射法訓の解説は出来ます。その解説をしたものが、NIFTYの武道フォーラムの論文コーナーで私が一般公開している「礼記射義の解説」「射法訓の解説」で詳細を見て頂く事が出来ると思います。但し、この二つの論文は何れもA4で45頁の長文であり、尚且つ称号者レベルの人を想定して書いたので、一般の方には少し難しいかと思います。それ故に、最近では3段以下の人向けに「春の巻」・4ー5段の人向けに「夏の巻」そして今迄の物を称号者向けに「秋の巻」としての3部作に纏め上げました。これらは何れどこかで紹介する機会を持とうと思っています。
 従って、射法訓の原文の存在については「あった」と想うし、今は消失して分らないというのが本当ではないでしょうか?そして私は射法訓は別に射の方法論だけを説いている物とは考えていません。真言仏教の深い教えを仮託して伝えたい弓道の心がその中にあると考えています。
 何か在りましたら、またご連絡ください。   松井 巌」

「二伸:昨日のメールに引き続いての事ですが、習熟の程度に応じた記述と言うのは何かの間違いであろうと思います。これは射法訓の中に書かれている事ではなく、例えば「鉄石相剋して火の出る事急なり」、とか「西半月の位なり」と言う言葉は、竹林の伝書の中の中央の巻や父母の巻からの引用であるのですが、ここに習熟の度合いと格と言うか射のレベルの様な事が書かれていると言う意味です。だから、射法訓の中に書かれているかどうかは分からないが、引用のオリジナルの所から考えるとここまで配慮して解釈しなくてはならないであろうと言うのが私の見解です。繰り返しますが、射法訓そのものに書かれていると言う意味ではなく、引用している伝書に引用されている部分に習熟の度合いに関わる事項が書かれていると言う意味を言っていますので宜しく・・。」

松井巌教士からのmail

2000年6月6日、松井教士からつぎのmailが送られました。6月4日、愛知県武道館で実施された東海地区臨時中央審査(6段の部)の折、mailにて送付するとのお話でしたので懇願した次第です。
「審査は、お疲れさまでした。その折りに、ご紹介しました表記の件、添付にて送付申し上げます。
春の巻は、3段以下を意識しました。延び盛りの若芽のイメージです。
夏の巻は、4−5段を意識しました。暑い夏の日差しを浴びて一気に伸びようとする事をイメージしました。
秋の巻は、称号者を意識しています。秋の実りを付けて、自分自身の完成と次代の人への種の受け渡しをイメージしています。内容的には、NIFの公開論文そのもので表紙だけを変えました。
参考になればと思います。
《「礼記射義・射法訓の解説」春の巻》
《「礼記射義・射法訓の教え」》夏の巻
《「礼記射義・射法訓の解説」秋の巻》
〔梶田註〕ホームページへコピーした際、フォントやレイアウトなどが変化しましたので、修正しました。もちろん文章は原文のままですが、見出しのフォントなどが若干異なっていることをご了解下さい。


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